好きになんて、なりたくないのに。
貴女に魅かれている自分に、こうしてまた気付かされるんだ。
君にとって僕はどれくらい必要とされてんだろう
何時もよりも若干早く切り上げた朝練。
部室の戸締りを他の部員に任せて教室へ向かうその途中、正面からやって来る姿に思わず足が止まった。
書類を綴じたファイルが幾つも詰め込まれた、少し大きめのダンボールを抱えるさんの姿。
箱の中を気にしたように視線を落としている彼女が、俺に気付いた様子は無い。
「おはよう御座います、さん。随分早いですね」
「あ、昨日のテニス部の……。おはよう御座います」
「永四郎です、木手永四郎。確かにテニス部ですが…名前、覚えて下さいよ」
「はい、すみません……」
「いいえ、昨日は名乗りませんでしたからね。で?」
声を掛ければ、直ぐに反応して顔を上げて挨拶を交わしてくれた彼女。
何故こんなに早くに?と疑問を投げ掛ければ、『今日は朝から資料室の整理をするので』と貴女は微笑んだ。
そんな貴女のダンボール箱を持ち直す仕草に、思わず手が伸びる。
「俺が持ちますよ。資料室と言うことは、二階ですよね?」
「はい、でも……」
「構いませんよ。俺が好きでやるんですから」
そう言ってさんには少々重過ぎる荷物を取り上げると、彼女は『ありがとう御座います』と頭を下げた。
そんな彼女を伴って、廊下を進んだ先にある階段を上ると、目的の資料室は直ぐ目の前である。
けれど鍵を開けて入ったその一室は、思いもせぬほどの散らかりようで。
今自分がここまで運び入れたのと同様の箱が、乱雑に積み重ねられる有様だった。
「まさか、これを一人で片付けるんですか?」
「そのつもりです。……あ、これには事情があってですね…!決してその、昨日の話とは関係ないんですけれど…っ」
「えぇ、それは判っていますよ」
「昨日は本当にすみませんでした。あんな話、してしまうなんて」
昨日の、とは本土から来たことに対する周囲の目に関すること。
それでも彼女は『皆さんとても親切ですよ』と笑って見せた。
足場なんて殆ど無いくらい荷物で埋め尽くされたこの資料室は、こんなにも果敢無い彼女には似合わない……。
「さん、良ければ……」
「お、こんな所に居たんばー、永四郎?探しちゃんどー、って何の箱ばーウリ?」
「あい?たーやが、この人」
「…何か用ですか?平古場君、甲斐君」
「部室の鍵、閉めて来たんどー。さん、オハヨー」
「おはよう御座います、平古場くん」
「ぬーがや、凛も知ってるんばー?」
『さんは昨日の全校集会の時の人あんに』と平古場君が甲斐君に教えるも、
彼は『遅刻したから知らなかったさー』などと、悪びれた様子も無く答えていた。
「遅刻したこと、少しは反省しなさいよ。まったく…」
「ま、まぁ今日はちゃんと間に合ってるあんに」
「それより永四郎、もうすぐ予鈴鳴る時間やんどー?」
平古場君の言葉に時計を見れば、時刻は予鈴5分前。
先程、さんに言いかけて途切れた言葉は言えないままで。
ちらりと彼女に視線を向ければ、さんは少し慌てたように、置き場に困って今まで持ちっぱなしだったダンボール箱を受け取った。
「すみません、ここまで運んでくれてありがとう御座いました」
「いえ、構いませんよ。では…」
「じゃあやーさん」
笑顔で手を振る平古場君を横目に、軽く会釈をしてさんに背を向ける。
そんな彼に応えるように笑顔を向けた貴女にも、『随分綺麗なひとだなー』と独り言のように呟いた甲斐君にも……。
何故だか無性に苛立ちが込み上げて、つい目を逸らしてしまう。
それはきっと、貴女の笑顔が俺一人に向けられたものではないからなのだろうけれど。
・・・
午前の授業の終了を告げるチャイムの音が鳴り響き、クラスメイト達が弁当を広げ始める中。
ふと教室の窓から反対側の校舎の二階へと視線を向けた。
しかし生憎、この教室からは二階の資料室はちょうど角度的に見ることが出来ず…。
もう資料室の整理は終わったのだろうか、と朝からずっと気になっていたさんの様子を思い浮かべた。
昼食も取らずに向かった場所は、彼女が居るかもしれない例の一室。
時間的にさんも昼食を取っている時間帯だという頭はあったのだが、それでも一度あの資料室に足を運ぼうと思って居たのは、彼女が居るかもしれないと言う下らない期待から。
10分程度の短い休み時間では、資料室に向かった所で何も出来無いだろう、と。
午前中いっぱい、無闇に教室から出ることを避けていた故の結果がこれだろうか、なんて、心なしか足早な自分に思わず自嘲した。
朝と同じルートで階段を上がると、資料室前の廊下にはたくさんのダンボール箱が並べられていた。
彼女は中に居るのだろうか、と。資料室を覗き込むよりも早くさんが部屋から出て来たことで、少なからず身体に緊張が走る。
「あ、木手くん。どうかしました?」
「いえ……朝、中の様子を見ていたせいか、気になりまして」
窓が開け放たれ、朝の埃っぽい空気がすっかり入れ替った日当たりの悪い資料室の中は、大体半分程の荷物が整理された状態だった。
どうやら資料整理と同時に清掃も行っていたのが判ったのは、入り口側にホウキと塵取りが立て掛けられていたから。
しかし、棚の一番上には未だ何も乗っては居らず、脚立があることから、廊下に並べられた書類の箱をこれから戻すのだろうと予測がついた。
「宜しければ手伝いますよ。上に荷物を戻すんでしょう?」
「いえ、良いんです。私の仕事ですし……それにまだお昼食べてないですよね?」
「あぁ…もしかして今から昼食でしたか?」
「あ、私はここの整理を全部終えてからにするつもりだったのでいいんですけど…」
「なら構いませんね?朝も言いましたが、俺が好きでやるんですから。気にしないで下さい」
多少強引に話を押し通して、すっかり綺麗になった資料室へと足を踏み入れた。
『本当にすみません』と、申し訳無さそうな顔をする貴女に笑って欲しいと思うのは、さんに必要とされたいからなんだろう…。
二人で資料室に入り、本当に必要な言葉だけを交わす程度で黙々と作業を続ければ、廊下に並んでいた結構な量の箱は綺麗に棚に収まった。
高い所への収納は俺が担当し、年代順に資料の整理を終えたのは、午後の授業が始まる約3分前。
「昼休み中に終わりましたね」
「はい、本当にありがとう御座いました。でもごめんなさい、木手くんお昼食べる時間が…」
「構いませんと言ったでしょう?俺が好きで手伝ったんですから。…あぁ、そろそろ戻らないといけませんね」
それでは、と教室へと戻ろうとする俺に、さんの口からは『ありがとう』と『ごめんなさい』が何度も繰り返された。
そんな彼女の仕種も、表情も、貴女の何もかもが愛おしく感じられて、このまま貴女の傍に居たいと思わされる。
貴女と出逢って、未だたったの二日だというのに……。
それなのに、こんなにも……
「こんなにも貴女に必要とされたいと思ってしまうなんて……どうかしてますね、俺は」
後ろ髪引かれる思いを断ち切るように、さんに背を向けて教室へと戻る途中。
自嘲気味に零れた言葉は、止められないほど狂って仕舞ったらしい俺の、貴女への素直な想い。
振り向いてしまえば最後だと判って居ても、もう一度貴女の姿をこの目に入れたいと、幾度と無く振り返りそうに為ってしまう。
チャイムと同時に教室へと戻れた俺はその午後、
空腹よりも貴女が気になって、少しばかり授業は上の空だった……。
(君にとって僕は)
(どれくらい必要とされてんだろう)
(ちょっと)
(このハカリに乗せてみたいもんだ)