貴女を好きだという、
ただそれだけなのに。
愛し合ってキスを交わせば
「……っ!」
「どうしたの永四郎?あ……」
放課後、委員会の作業中。
利き手とは逆の人差し指からの出血は、カッターナイフによるものだった。
思ったよりも深く切れてしまったようで、出血は意外と多い。
「保健室で絆創膏もらって来なよ。あとは私がやっとくから」
「えぇ、そうします。スミマセンね」
「いいよ。これくらいならたいした量じゃないし」
同じ委員の彼女に促されるように、木手は出血した指先をティッシュで押さえながら教室を出た。
こんな失態を犯すなんて、と小さく溜息を吐きながら向かった保健室。
しかし木手は、その保健室の戸を開ける前に再び溜息を漏らすこととなる。
『本日出張の為、保健室を利用する生徒は事務室に行って下さい』
そう書かれた張り紙が、でかでかと扉に貼り付けられている。
面倒だと感じながらも木手が微かに口元を緩めたのは、指定された場所が場所だからかもしれない。
踵を返して事務室へと向かう彼の足取りは、心なしか軽かった。
・・・
「失礼します。保健室の鍵を開けて頂きたいのですが」
ノックをして入室した事務室には、の他に二人の職員が居た。
ちょうど三人とも揃ってデスクに向かっての作業中だったが、最初に木手に気付いたのは他でも無い、だった。
「あ、保健室ですね。すみません、じゃあちょっと行って来ます」
「はい、よろしくお願いしますね、さん」
一度丁寧に断りを入れた後で、は壁に掛けられた鍵を手にすると、木手の元へとやって来た。
『じゃあ行きましょうか』と先に促すに従って、木手も廊下を進む。
木手の指先を見ながら、は『指、切ったんですか?』と、歩きながら彼に訊ねた。
「えぇ…思ったよりも深かったようですね」
「そうですか……気をつけて下さいね?あ、ちょっと待ってて下さい」
保健室の鍵を開けて中へ入ると、は直ぐに室内の棚の鍵を開ける。
消毒液と脱脂綿、ピンセットを取り出すと、脱脂綿に消毒液を染み込ませた。
木手は自分でやりますと断りを入れるタイミングを逃し、立ったままでの様子を無言で見ていた。
「お待たせしました、傷口見せて下さい」
「わざわざすみません」
出血の治まった傷口は、赤みを帯びてパックリと割れていた。
その手をとって消毒液の染み込んだ脱脂綿を押し付けるは、痛くないですか、と訊ねるが、木手には痛みにも増す感情が渦巻いていた。
自分の手に触れるの指に、甲斐甲斐しいその姿に…。
如何しようも無く、木手は高揚した。
下手に指先だけが触れるこの状態が、木手にとっては気持ちを昂らせるものなのである。
自分のそれとは違う、細く白いの指先。そのコントラストが、木手にはやけにいやらしく映る。
そして、彼女が好きなんだと、無駄に自覚させるのだ…。
「あと、絆創膏貼りますね」
「…ええ、お願いします」
僅かに血の染み込んだ脱脂綿をゴミ箱へ捨てた後、はそう言うともう一度棚の中を探った。
ここでも木手が彼女に断りを入れなかったのは、タイミングを逃したからではなく、そうされたいと思ったからだった。
絆創膏を一枚取り出すと、はそれを木手の指へと巻きつける。
全ての工程を終えたはどこか満足げな笑みを浮かべており、木手はその彼女の表情に思わず息を呑んだ。
「はい、終わりました。あとは私が施錠しておきますので」
「ありがとう御座いました、さん」
「いいえ。お大事に」
にこりと彼に微笑みかけた後で、は木手に背を向ける形で軽く棚の整理を始めた。
彼女は木手が先に戻ると思って居たのだが、木手はそうしなかった。
の身体を両手で挟むように棚に手を着くと、彼女を自分と棚の間に閉じ込めたのだ。
「っ、木手くん?」
「………」
微かに驚いた表情を見せながら振り返ったに、木手はゆっくりと顔を近付ける。
その仕草に、少しばかり怯えた瞳が木手のそれと絡む。
「さん、と呼んでも構いませんか?」
「は‥い、それは……構いませんけれど、っ」
少しでも木手と距離を取ろうと、が一歩後退する。
ガシャ‥と棚との背がぶつかる音が、木手から逃れる道が無い事を彼女に知らしめるようで、は恐怖を感じた。
対峙する木手の目は、今までが見たことの無いような真剣なもので。
それはにとって、高校生という子どもらしさの見えない、大人の男のそれのように見えたのだ。
「それは良かった。ではさん、もうひとつ……」
「何、ですか……?」
刹那、の視界に映る木手の表情が酷くぼやけた。
そう気付いた時にはすでに、木手のくちびるがのそれと重なっていたのである。
重ねられたくちびるに驚く間もなく、木手はの下唇を甘噛みしながら、軽く舌先でなぞった。
その感覚にビクリと身体を弾ませたは、その華奢な手で木手を押し返そうとするが、自分の肩口を押し返そうとする彼女の両手を、木手は軽々と掴まえて封じてしまう。
「…ふ、っンン…っ」
「……っ…」
酸素を求めて薄く開かれたのくちびる。木手はそれを逃さなかった。
その僅かな隙間に舌を捩じ込むと、木手はを求めて深くまで侵入する。
舌先が触れ合うたびに跳ねるの身体に、木手は激しい高揚感を感じた。
何度も舌を絡め合い、名残惜しげにくちびるを解放してやると、木手の目には今にも泣き出してしまいそうなの瞳があった。
「もうひとつ、貴女を好きになっても構いませんか?」
「‥っ、木手くん…っ」
「いや…違いますね。さん、俺を好きになって下さいよ。俺は……」
『俺はすっかり、貴女に囚われてしまったんですから』と。
の耳元で低くそう囁くと、木手は満足げな笑みを浮かべて保健室をあとにした。
そのくちづけの真意は、彼が告げた通りのもの。
が自分を求めて来るように、と用意した、大きな大きな罠なのだ。
「早く‥堕ちて来なさいよ、さん」
教室へと戻る廊下を歩きながら木手が囁いた言葉など、には届いては居ないのだけれど……。
(愛し合ってキスを交わせば)
(きっと素直になれるから)