LOVESICK〜You Don't Know〜
週末、午前中いっぱいみっちりと部活をやり終えた真田は現在、自宅ではないあるマンションのエントランスホールに居た。
前々から、この日はここに来ることを約束していた真田。
しかし、気恥ずかしさゆえか、インターフォンを鳴らすに鳴らせない。
一頻り悩んだ上で、彼が取り出したのは普段あまり使用することのない携帯電話。
通話画面ではなく、これまた普段の使用率は確実に低いメール画面を表示させると、たった一言『着いたぞ』とだけ入力し、送信ボタンを押した。
そのまま携帯電話を制服のポケットへと仕舞いこむと、真田は少しばかり居心地悪そうに帽子を深く被り直した。
焦燥感にも似た不思議な感覚を落ち着かせようと腕を組み、ふう、と一息吐く。
そわそわと、しかしそれを押し殺そうとでもするかのように、腕組みをしたまま真田は足元の一点を見つめていた。
すると程なくして、鍵のかかったガラスの扉の向こうに、待ち人の姿が現れた。
真田の姿をその瞳に映した途端に笑顔を零した彼女に、真田は組んだ腕をほどき、照れ隠しの変わりに咳払いをする。
「部活お疲れさま。インターフォン鳴らしてくれれば直ぐにここのドア開けられたのに」
背の高い真田を見上げながら微笑む彼女に、真田は『いや…‥』と言葉を濁した。
「少し待たせてしまったか?部の連中と昼飯を食ってから来たんだが…‥仁王や赤也にさんのことをしつこく聞かれてしまって、」
「時間通りだよ。私の方こそ、みんなでお昼食べてたのに邪魔しちゃったみたいでゴメンね」
「そんな事はない。あいつらとメシなんて、毎日のように食っている」
がやって来たガラスの扉の奥にあるエレベーターを待ちながら、そんな他愛無い会話を交わす。
普段からこうして二人で逢って話す機会など滅多にないと言うのに、元々口下手な真田は部活の事以外となると更に会話に困窮してしまう。
恋愛自体を苦手としているためか、好きだ何だと言った言葉は、それこそ言える筈もない。
今日も互いの、と言うよりは真田の部活の都合により約二週間ぶりにこうして時間を共有できると言うのに……。
恋愛不精の自身に溜息を吐いていると、漸くエレベーターがエントランスホールまで戻って来た。
『どうぞ』と、に促されるようにして乗り込んだ小さな箱は、当然ながら真田との二人きり。
先程まで昼食を共にしていた彼らの言葉のせいか、はたまたテニスバッグの中に隠すように突っ込んだモノのせいか……。
密室に二人だけと言う事実が、真田はやけに気に掛った。
・・・
「ねえねえ真田副部長、副部長の彼女って年上の人なんでしょ?やっぱりもうイロイロしたんスか?」
「色々とは何だ、赤也」
「だーかーらー、イロイロっスよ!ねぇ仁王先輩」
「なんで俺に振るんじゃ…。ま、そうじゃの、いくら真田でもキスくらいはしたんじゃろ?」
仁王の思わぬ発言に、むせ込みながら真田は顔を赤くした。
『そんな事を聞くなど、たるんどる!』と、何時ものように檄を飛ばすものの、今の真田には普段の迫力などは見られず…‥。
「その様子を見なくとも、進展は無いようだな、弦一郎。もっとも、さんもお前以上に鈍感なようだからな、その手の事は」
その手の事、とは恋人同士の交わす所謂スキンシップを指すのだろう。
口元に笑みを浮かべた柳が真田にそう告げれば、その発言に食い付いたのは丸井だった。
「ってことは柳は真田の彼女に会ったことあんの?」
「あぁ、何度かな」
「へぇー、イイな柳先輩!ね、ね、どんな人なんスか?真田副部長の彼女って!」
「赤也!いい加減にせんか!」
興味津々で問い掛ける赤也を真田がいくら嗜めようとも、いまや部員全員が赤也同様に柳の答えを嬉々として待っている状態。
これではさすがの真田も諦めるより他なかった。
「そうだな、とても綺麗な人だ。弦一郎には勿体無いくらいな。もう一つ言えば、ジャッカルの好きなタイプの女性でもある、と言った所だろう」
「お、俺か?」
「美人でグラマーか。そりゃ確かに真田には勿体無いのう」
「是非一度お会いしてみたいものですね」
好き勝手に盛り上がる部員たちを前に、真田は微かに朱の差した顔で溜め息を漏らす以外に出来ることなど見つからなかった。
その後も話題と言えば真田の彼女のことばかりで、根掘り葉掘り聞き出そうとする部員たちに質問攻めにされたのは言うまでもないこと。
メールはしてるのか、電話はどうだ、手くらいは繋いだのか……。
面白いように飛び出す真田への疑問は尽きることがなく、レギュラーの面々が普段から立ち寄るファミレスで食事を終えたのは、真田が予定していた時間を多少オーバーしていた。
そしてそれぞれが岐路に着くべくそこで解散をした時だった。
の待つマンションへ向かうべく、部員たちの輪から外れた真田に、仁王が歩み寄り彼を引き止めた。
「真田、待ちんしゃい。良いモンプレゼントしちゃる」
「む…なんだ、仁王」
テニスバッグのサイドポケットのジッパーを下ろしながら、仁王は真田に手を出すように示す。
言われたまま真田が差し出した右の掌に乗せられたのは、仁王が取り出した正方形をした箱だった。
箱の表面には何も書かれておらず、くるりと裏面を返せば、そこには小さな文字で『6個入り』とだけ書かれてあった。
「仁王、これは何だ?」
「餞別じゃ。ま、中身は見れば判る」
そう言われてしまえば、真田も中を確かめるしかない。
何の躊躇いもなく箱を開けて中身を取り出した時、真田は大いに慌て、そして大いに赤面した。
箱の中に入っていた、密封された袋の中にあったのは、所謂避妊具。
取り出して後、即座に箱内にそれをしまった真田は、思わず大きな声で目の前の男の名を呼んだ。
しかし当の仁王はと言えば、まるで涼しい顔をしており、終いには『男は度胸ぜよ』などと口走る始末。
いらん、といくらその箱を返そうにも、仁王は『餞別じゃ』の一言で真田をかわし、結局真田はその箱を隠すように自らのテニスバッグの中へと押し込んだのだ。
そんなやり取りがあったからだろうか。
真田はエレベータと言う小さな密室の中で、不自然な緊張感に襲われていた。
思えば、と触れ合ったのは手を繋ぐと言う行為のみ。
それすら、真田はどれだけ時間が掛り、そしてどれだけ勇気を出したことだろうか。
指先以外、触れ合ったことがないと言うのに、あの箱の中身を一体どうしろと言うのか、と。
自分には不似合いすぎるテニスバッグの中のモノを思い浮かべては、真田は内心溜め息をついた。
よりによって初めて彼女の家に上がるその日に、こんな不謹慎なモノを手渡すなんて……。
しかし、考えれば考える程、真田はを強く意識してしまう。
大した時間ではないと言うのに…。
エレベータの移動速度ですら、やけに遅く感じてしまう。
「着いたよ、ここの階なの」
「あ‥あぁ、」
結局、エレベーターに乗り込んでからは終始無言のまま。
降りてからも、の後ろを着いて歩く真田は、何と声を掛けたものか悩んだ末に、とうとう会話の糸口を掴めないまま、の部屋の前に辿り着いた。
『何もないけど』と。
促されて足を踏み入れたその一室は、とてもシンプルな部屋。
けれど、何よりも真田の意識を奪ったのは、いつもから感じていた芳しい香りを、彼女の部屋に入った途端に全身に感じたことだった。
だから、だろうか。
パタリと扉が閉まった音が引金となったかのように、真田は思わずの身体を抱き寄せた。
触れたいと思う衝動が一気に駆け上がり、真田よりも一回りも二回りも小さなを腕の中に包み込み、腕の中に感じるぬくもりを噛み締める。
突然の、それも、の知る真田からは想像もつかない抱擁。
真田だけではない。もまた恋愛に疎いため、互いにすべてが『初めて』なのである。
思い掛けない真田の行動に、の心臓は壊れんばかりに激しく脈打っていた。
背の高い真田の、ちょうど胸元の位置に顔を埋めて。
緊張しながらもおずずと伸ばした手で、彼の制服のワイシャツをそっと握り締めた。
耳元に聞こえる真田の静かな鼓動の音が、には酷く心地良く感じられた。
「…真田くん…‥」
「…‥っ!」
の声が真田を呼んだ時、漸く自分の取った行動に気付いた真田は、慌てたようにを抱き締める腕を解き、距離を作ろうとしたのだが。
既に真田のシャツを握り締めていたと思う以上の距離を作ることが出来ず、真田は一気に赤く染まった顔をに晒すこととなった。
「す‥すまない!突然こんな…っ…‥、‥さん?」
「もう少しだけ、このままで‥居てもイイ?」
真田のシャツを掴んだ手はそのままで、まるで小さな子どものように真田にしがみ付いて……。
そんなの言葉に、真田は再び遠慮がちにの身体に腕を回した。
それでも。
真田があの箱の中身を使うのは、まだ少し先のこと……。
(恋煩い)
(この気持ちを、君は知らない)