運命なんて、そんな不確定的なものは信じてなどいなかったけれど。
それでも、少しだけそんな不確定要素を信じてみたくなった。


DON'T MAKE ME SKATE ON MY HERAT, CHILD




夕暮れ時。
部活を終えたテニス部員が、揃って歩く帰宅路。
駅へと向かうのは、何時もと同じ顔ぶれ。
ハードな練習を終えたばかりだというにも拘らず、まるで疲れを感じさせない後輩に苦笑しつつ、手には興味本位で借りた和歌の本が一冊。

今頃彼女は如何しているだろうか、などと。
名前も知らない相手への、憧憬にも似た気持ちが浮かぶ。

矢張り名前くらい、聞いておけば良かっただろうか。
そんな後悔は今更過ぎるものだと判って居るのに、あの後も自発的に和歌集ばかりを気に留める自分がやけに滑稽だった。


「…それでオレばっかり怒るんスよ、あの先生!ねぇ、聞いてますか柳先輩?」
「ん、あぁ。済まない」
「ちょっとくらいオレのグチ聞いてくれてもイイじゃないっスかー…ってあれ?」


帰宅途中の学生やサラリーマンで溢れる、駅に臨んだ夕暮れの広場。
しゃべり通しだった赤也が押し黙ったかと思えば、その視線の先には一人の女性の姿があるようだった。
遠目では良く見えなかったが、スーツを着こなすその姿は、どうやら仕事帰りといった様子で。
突然『あっ!』と嬉しそうな声を上げた赤也は、次の瞬間には大手を振りつつ大声で叫んだのだった。


「先生〜!先生〜!」
「あ、赤也君?」


赤也の呼ぶ声に、先生と呼ばれた彼女が近付いて来る。
そして、その時漸く、俺はそれが『彼女』だと認識することが出来た。
あの時の、あの柔らかな笑顔……。
思わず身体が僅かに強張ったのは、きっと嬉しさ故に。


先生すげー久し振りっスね!二年振り?」
「うん、二年振りだね。元気そうで安心したけど……もう『先生』って呼ばれるのさすがに恥ずかしいなぁ」
「えー!だって先生は先生でしょー?」


赤也とのやり取りに少しだけ苦笑いを見せた彼女。
貴女と赤也か知り合いだったという事実に驚かされていると、彼女が不意に俺に声を掛けた。


「あの…先日はありがとう御座いました。テニス部さんだったんですね」
「ええ。俺も、貴女が赤也と知り合いだったとは思いませんでした」
「柳先輩、先生のこと知ってんスか?」


俺と彼女が知り合いだという事に驚いた様子の赤也に先日の出来事を話してやると、赤也は『そういうことっスか』と納得したようで。
『そういや先生のお陰で、昨日は古典の百人一首の授業バッチリだったんスよ!』などと、赤也は笑顔を見せた。


先生はオレの中学ん時の家庭教師の先生なんスよ!ね、先生!で、柳先輩はオレの部活の先輩!」
「赤也君の先輩なんですね。あ、私はと言います。手が掛かると思いますけど、赤也君のことよろしくお願いしますね」
「俺は柳蓮二です。赤也の家庭教師では大変だったでしょうね」
「なんスか二人して!オレそんなに手ェ掛ってないっスよ!」
「でも赤也君毎回のように宿題やってくれなかったからな。結構大変だったんだよ?」
「未だに治ってないみたいだな、赤也のその悪癖は」


楽しげなその表情は、久方振りの教え子との再会故か。
先日初めて彼女と言葉を交わしたあの時よりも、ずっと輝いて映る。
目が、自然と彼女の笑顔を追ってしまう……。

新たに出来た彼女との繋がりに、心成しか嬉しさを感じて居る自分が、不思議と彼女の存在に惹かれて居るのが判る。
それは、決して恋愛感情を持って魅かれているのでは無いのだけれど。
自分でも理解し得ない彼女の『何か』に、如何しようも無く惹き付けられて居ることだけが、今唯一判る己の感情。
『恋』では無く、けれど形容し難い不思議な感覚。


「そんなことよりさ、先生!せっかく今日会えたんだしさ、先生のアドレス教えてよ!」
「うん、再会した記念にね。その代わり先生って呼ぶ癖、早く直してね?」
「今更治せるかなぁー?ま、頑張ってみるっス!」


二人がアドレスの交換を終えた後、『それじゃあ、ヒマな時にでもメールしてね』と告げて、携帯電話を鞄に仕舞った貴女。
先生もメール下さいよ!』と、手を振りながら彼女を見送る赤也の隣りで会釈をしながら貴女を見送れば、柔らかく微笑みながらお辞儀をした貴女は背を向けて歩き出した。

嬉しそうに携帯電話を握り締めたままの赤也に苦笑しつつも、二人で彼女の背中を見送りながら、
『良い先生でしょ、柳先輩!』と誇らしげな赤也に、俺は羨望を感じたのだった。





(あんまり俺を)

(惑わさないでくれよ)



Back